先日のTVT展示最終日をもって、私はMKPを完全に引退しました。
最終的にはとても楽しく活動を終えられたと感じていますが、入部当初から振り返ると、実はかなりネガティブな感情の中で活動していた時期もありました。あまり周りに話していない失敗も多くあります。
そこで、私がMKPに入部することになってから引退までを、できる限り正直に振り返ってみたいと思います。
一つ申し添えておきたいのですが、この振り返りを書くにあたって当時のチャット履歴などを遡って記憶をたどるのは、罪悪感と後悔が蘇ってきてとても辛い作業でした。これを公開するのも私にとっては勇気のいることです。しかし、アンコール公演をあの奇跡のような満足度で終えられたことでその勇気が湧いてきました。
長くなりますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

この2年間は私の人生の中で最もかけがえのない時間であり、活動の中で関わってくれた全ての人々に感謝しています。本当にありがとうございました。

入部

私は2年生から入部したのですが、当時は全くMKPに入るような人間ではなく、1年生の芸祭では星座公演を通りがけに一瞬目にして普通に冷笑していました。そもそもディズニーを冷笑していました。自分がそれまでディズニーランドに行ったことがなかったのを本気で誇りに思っていました。私にとっての夢の国は6年間アスペ患者のパソコンオタク達と戯れていた男子校だったのです。
MKPが作曲者を募集しているという噂を友人から聞いたのは、私がちょうど入学時から所属していた映画制作サークルを辞めて開放感でハイになってた時期でした。これが災いして、「私がディズニーオタクサークルの音楽作るの、逆にオモロくないか???」というよくわからない高揚感で入部を決意してしまいました。自分で入部を申し込んでおきながら「なんで 私が MKPに?」というツイートで早くもMKP馴染めない芸の先駆けをしていました。

最初の衝撃は、第1回の全体会でした。
12号館201の大部屋に入るとそこは主張が強そうな女子(当時の私の偏見)で埋め尽くされており、早くも「入るサークル間違えた!」という気持ちになりました。美大に入学して1年経っていたとはいえ、中高男子校卒という病は女子とのコミュニケーションに生涯ものの不自由を遺しています。最も苦手とするディズニーオタク系女子たちを前に、私の心は壊れかけていました。
席に着き、あまりの窮屈さに帰りたいなあなどと思っていた時、スライドがめくられ、テーマが発表されました。
「「「 サイエンス 」」」
入るサークルあってた!!!
私は理系学問のオタクだったので、ドンピシャなテーマがきて奇跡的に一命を取り留めた感じでした。多分本当にこのテーマ以外だったら即辞めていました。ありがとう、WML幹部陣。

最初の音源制作の話し合いで、あろうことか私は3曲目以降全オリジナルというキチガイ提案をしてしまいます。2週間に1曲出していけば間に合う計算なのですが、今思えばとても無理があります。
当時は自分なら必要とあらばそのくらいできるだろうと勘違いしていました。これもあって後々大きな迷惑をかけることになったので本当に反省しています。

フィナーレ制作

まず取り掛かったのはフィナーレ曲「WARNING! Miracle LABORATORY」。喧嘩していた2つの陣営が仲直りして共同ラボを設立する場面の曲で、二つの対照的なモチーフを明るくポップな曲調でまとめることが要求されていました。また、間奏部分にはペアダンスのパートも欲しいとのことでした。
私はそれまでハードコアやダブステップなどの頭悪い系EDMや厨二病ボカロみたいな暗く不穏な曲しか作ったことがなかったので、MKPで流れていても違和感のないような明るさを持った曲を作ること自体が難しい状態でした。そこでまずは、ディズニーパレードで使われている曲をいくつも聴いてリサーチすることから始めました。
しかしそれは暗順応した眼にいきなり閃光弾を浴びせるようなもので、あまりの明るさに気が狂いそうになりつつ定期的に澤野弘之を挟むことでなんとか正気を保ちながら耳を慣らしていく荒療治となりました。
リサーチの結果、古典的な要素を入れた方が逆に明るく聴こえるかもということに気付き、両陣営の対比を長調と短調に割り当てて表現することを決め、
サビ→Aメロ→Bメロ→間奏
という順番で制作を進めました。
この曲は私が作った公演曲の中でも最も高い密度で演出意図を詰め込んでいるので解説できるところはたくさんあるのですが、長くなるため割愛します。また別記事で書くかもしれません。
個人的に好きなのは間奏で、公演本番にペアキャラのセリフが入ってペアダンスに向かう部分の雰囲気がめっちゃエモくてお気に入りです(作曲者とは思えない語彙力)。
なんやかんやあってなんとかフィナーレ曲の練習用音源が完成しました。
ダンサー代表のKさんに呼ばれて12号館の一室に音源を持って行ったのですが、作った曲を目の前で聴かれることに耐えられなくて流し終わるまで廊下に出ていました。結果として没にはならずにOKを貰えたので一安心しました。

ファンファーレ制作

次に取り掛ったのがファンファーレでした。結論から言うと、私はこの曲の制作に2ヶ月以上をかけ、あまりの進捗の悪さに消息を断つという禁忌を犯すことになります。

ファンファーレ部分のストーリーとしては、両陣営が研究をお披露目して、些細なことから喧嘩が始まり、最後は薬瓶を落として爆発オチ(?)という感じでした。
制作を始めてすぐに全体のコンセプトが決まりました。おおまかには
1. フィナーレと同じく長調と短調の対比を両陣営に割り当てて、交互に展開
2. 喧嘩からハプニングが起こるまでの焦燥感の高まりを、BPMを上げていくことで表現する
といった感じでした。
制作順としては頭から順に編曲まで詰めて埋めていく形をとりました。私の典型的な制作スタイルではあるのですが、今思えばこれが良くありませんでした。調とBPMを同時に切り替えまくるというキチガイ構造なので、見取り図となる全体のラフスケッチを完成させてから詰めていかないと展開が立ち行かなくなることは明らかだったと思います。
冒頭の高らかなブラスを用いたイントロはまずまずできていました。しかし、両陣営を交互に登場させる展開を作り始めるとすぐに詰まりました。
フィナーレでは等間隔でメロディの調号を切り替えるだけだったので機械的に演出を作っていけたのですが、ファンファーレの場合は後半にかけて連続的に間隔を短く、テンポを速くしていかなければなりません。となると同じメロディをただ長短で繰り返すだけではくどいので、メロディはちゃんと一本の曲として変化していくけど、同時にそれが長短の切り替えに合っているように工夫する必要がありました。
冒頭の楽器編成を大きくしてしまったこともあり、楽器一本一本のメロディを上の要件を満たすように組んでいくパズルを解かなければならず、完全に手が止まってしまいました。
今思えば全然他にも演出の方法はありました。焦りのあまり視野狭窄に陥っていました。

この頃になるとCさんが作曲チームにjoinしていて、混乱曲を提供してくれたことでファンファーレの方の締め切りは7月末まで伸びていました。しかし、私はこの夏休み前のタイミングでファンファーレを作り切ることができませんでした。

焦りの中でパソコンに向かっていても解決策が浮かぶはずもなく、進捗するどころかむしろ後退していきました。
進捗確認の連絡が来ても、何もありませんと返すことができず、何かある程度の進捗を生んでから返信しようという一番良くない考えで投げやりに作業を進め、全く気に入らない結果になって全て消し、元々作っていた部分にも原因があると思ってさらに消すということを繰り返しました。

さらに数週間経ち、連絡を返していないこと自体に気が重くなり、ついに作業を始めることすらままならなくなっていた頃、Discordの音源通話チャンネルにKさんや音源班メンバーが集まって話しているのを見かけました。どうやら、フィナーレの歌詞制作の会議でした。
私はもうチャットでの連絡を返せる気がしなかったので、これが最後のチャンスだと思って勇気を振り絞って通話に飛び込みました。Kさんたちは最初少し驚いたあと、優しい口調で何故連絡を断っていたのかなどを質問しました。しかし私は本当にテンパっていたので、「なんでだと思いますか?」という意味のわからない聞き返しをして余計に場を混乱させてしまいました。キチガイすぎるだろ!

それから何度かやりとりをして、まだ担当者の決まっていなかった手遊び曲はCさんに担当してもらうことが決まりました。Cさんがメインどころの曲を肩代わりしてちゃんと仕上げてKさんはじめダンサーや幹部に認められていく中で、自分は進捗と連絡の遅さで迷惑をかけ続けて謝罪の言葉すら持て余しているのが、無能で未熟で理想と乖離した現実の自分の姿を突きつけられているようでとても辛かったです。
しかし同時に、これほどまでにカスな私を辛抱強く使い続けてくれるMKP(特にKさん)の懐の深さに感動していました。私はもともと飛び癖気味でこういった状況になることはよくあったのですが、そこから結局復帰できたのはMKPが初めてでした。

そして実はこれ以降も大して進捗は改善せず、結局ファンファーレの練習用音源が完成したのは9月の末でした。その間も私は連絡の遅さ等で迷惑をかけ続けていました。
このまま完成しないならいっそ別の曲を使わないかという案が出ても、Kさんは私を信じて説得してくれていました。また、ダンサーの練習スケジュールがぐちゃぐちゃになっている原因が全て私にあることも他のダンサーたちにはあまり言っていなかったらしいです。あれほどダンサーに迷惑をかけたのに妙に非難されることが無く変だなと感じたのは、私が負うべき責任をKさんが全て代わりに負ってくれていたからでした。本当に殺してほしいです。

結局、当初の構想を捨ててシンプルなアルペジオを繰り返すだけの構成で無理矢理完成したことにしました。

退場曲制作、レコーディング

苦しみ抜いたファンファーレ制作が終わって10月に入り、残っていた退場曲とレコーディングに着手しました。

この時はもう目の前の仕事に全力で取り組むことに必死でした。夏の間に膨れ上がった信用負債ですでに懺悔の言葉すら意味をなさなくなっていたので、とにかく手を動かすことで貢献して少しずつ返していくしかない状況でした。自分のやってしまったことを直視するだけで壊れそうでした。

WMLの退場曲はフリが入らず雰囲気も切なさが出てしまって大丈夫とのことだったので、元々自分が得意としていたエモいオーケストラの編曲を使っていくことにしました。
実は、この曲の核心であるサビの部分の作編曲は2日ほどで完成しました。ループするフレーズが多かったこともありますが、何より自分の手癖に馴染んだ壮大で切ないストリングス編曲だったので、みるみるうちに音が埋まっていきました。
その後イントロAメロBメロと制作を進め、Bメロでフィナーレ曲のサビのメロディラインを鳴らすというアイデアを思いつきました。
私はその後担当する公演曲でも他の曲のメロディを仕込む小ネタをよくやるのですが、その原点はここにあります。MKPの作品を楽しみにしているファンを喜ばせる方法を意識して考えるようになったのもこの時からだったと思います。

退場曲と並行して、セリフやフィナーレ曲の歌のレコーディングも連日行っていました。
アイリーンの歌の収録予定日、機材準備を進めていると歌唱担当の方が入室したのですが、それがなんとMKPに入る以前からの知り合いであるダンサーのNさんでした。私はKさんから「ダンサーでカラオケ行った時にめっちゃ歌上手い子いたから呼んどいた!」とだけ聞かされていたので、それがNさんだったことに驚きました。

一年下の声優三人衆と初めて会ったのもレコーディング現場でした。スタジオに最初に到着したジャック担当声優のHさんが、私を見てMKPの人間なわけがないと思ったのか、部屋間違えました!と出ていってしまったのを覚えています。挨拶は大事です。

退場曲も完成が近づき、Nさんに歌をお願いしてレコーディングの日程を決め、急いで作詞を始めました。せっかくなのでサイエンスネタを入れようということで、物理学を元ネタにしつつ世界観に合う形にボカして書いていきました。締め切り前日夜にはNさんやフィナーレ作詞担当のMさんにも協力してもらってなんとか歌詞ができあがり、レコーディングに漕ぎ着けました。

そんなこんなでWML退場曲「波の行方」が完成しました。

セリフのレコーディングは芸祭期間まで続き、名台詞「さようなら〜」が生まれたのは本番前日の展示室でした。展示班のみなさんにもガヤの収録で協力いただきました。

ギリギリまで通し音源の編集とセリフ入れをして、本番音源を提出したのは芸祭当日の朝でした。

芸祭本番

私は星座公演や大新歓などもちゃんと観たことがなかったので、MKPの公演を観るのはWMLが初めてでした。
本番の公演を観たことで、このサークルの規模の大きさと成果物の情報量を改めて実感して感動しました。
それでもやはりオリジナル曲が流れ始めると夏から抱え続けたコンプレックスが刺激されてどうにも言い表せない苦しさがありました。しかし同時に、これだけ素晴らしい作品の中に自分の制作物が使われているということへの喜びと感謝もありました。

最終日用の通し音源もやはりギリギリまで編集作業を行い、当日の朝にKさんに提出しました。
その時、今年の自分の最後の仕事を終えたのだという実感が湧いてきて、それまでの活動を自分の中で振り返り、やはりKさんへの感謝をどうしても伝えておかなければという気持ちになりました。

そこでメモ帳に長文の下書きを書いていたのですが、なんと先にKさんの方から私への感謝を述べた文章が送られてきてしまいました。なんということだ……(すぐに私もお礼の長文を送りました)

最後まで修正ありがとう‼️
まじで今年の公演は高橋くんの力無しじゃなりたたなかったと本気で思っているので、本当に感謝してます。
最終公演だ〜と思うと気持ちが昂ってしまい、変なテンションでごめんよ‼️‼️

(一部抜粋)

救われる思いでした。このメッセージのおかげで私は芸祭最終日の公演を純粋な気持ちで楽しむことができました。しかし、まだかけた迷惑に見合う貢献ができたとは全く感じていなかったので、ただただKさんの懐の深さに感動するばかりでした。

最終日は公演直前に五美大管弦のコンサートがあり、演奏を終えてすぐに七号館のベランダに出て公演を観ました。波の行方がフェードアウトしてアナウンスが流れ、フロートが見えなくなるまで、全ての瞬間を記憶に残しておきたくて、最後の一瞬まで耳を澄ませていました。

芸祭を終えて

芸祭が終わってから翌年に向けた動きが始まるまで、私はとにかく作曲の地力を上げようと習作を繰り返しました。どんな難しい演出をやろうとしたとしても、実力があればちゃんと完成させられるはずだという考えでした。
今思えば本質的な問題はそこではないような気がしますが、この時期に作った習作の中にはBlue Plate MemoriesやLast Orderの制作時に参照して有用なアイデアに繋がったものがいくつかあるので、まったく無意味でもなかったとは思います。
しかし結局私は翌年も、ファンファーレ制作と同じ失敗を犯すことになります。詳しくは次回のTVT編で振り返りたいと思います。