
WML編の続きです。
TVT編は長くなったので、芸祭直前までを前編、芸祭本番以降を後編として分けて公開することにしました。
前回と同じくできる限り正直に振り返ることを心がけましたが、私以外の人の評判を下げる可能性がある内容は省きました。そのため若干事実と異なるニュアンスになってしまった部分もあるかもしれませんが、ご容赦ください。
音源班始動
12月末、2025年度における音源班の活動形態を決める話し合いがDiscordチャット上で始まりました。詳細は省きますが、最終的に班として独立する方向で固まりました。
また、先輩からの指名でCさんを代表とすることが告げられました。私の進捗や連絡の不安定さを不安視しての判断であることは誰の目にも明らかでした。他の音源班メンバーや幹部たちは特に何も言及していませんでしたが、私のWMLでの行いに一斉に目線が向いたような気がして罪悪感で少し苦しくなりました。
その後も、作った曲のことしか知らない友人に「音源代表じゃないの?」みたいなことを言われるたびに何故か責められているような気がして辛かったです。
この頃にはもう、仕事を任せるには不安しかない無能として皆から見られているという自意識が固まりきっていました。
そこで私は2025年度は公演曲の担当を持たず、他のメンバーのサポートに徹することを提案しました。案の定(?)すんなり了承されたのを見て、「やはりその方がみんな安心なんだ」と勝手に解釈して勝手に少し悲しくなっていました。めんどいなこいつ
そう、知らなかった人もいるかもしれませんが、私は当初本当に公演曲を作らない予定だったのです。芸祭直前に「今年度は最初から曲を作らないことを決めていたので〜」というようなツイートをして公演後にKさんに嘘つき呼ばわりされていましたが、実はあれは正確には嘘ではなかったのです。
WML Zepp公演
私にとって初めての外部公演がZepp DiverCity Tokyoとはなんとも贅沢な体験だったと思います。
大変だったのはスケジュールで、曲構成を決めて繋ぎ編集、セリフ決めとレコーディング依頼、セリフ入れまでを2週間足らずで終わらせなければいけませんでした。
また、私のコンプレックスの塊であったファンファーレを冒頭に用いることが決まったので、そのままの形でZeppで流れたら死んでしまうと思い急いでストリングスを足すなどのブラッシュアップを加えました。
当日はCさんに誘われて現地参戦したのですが、観客MKP勢で撮った集合写真の私があまりに浮きすぎていて面白かったです。データ消しといてください。
CCP活動期間
3月頃、WMLでお世話になったKさんたちがデザフェスステージ向けに企画したけーきくらぶぺろりんちょにて、曲で恩を返すべく張り切っていました。
Twitterで最初の募集を見かけた時期から雰囲気に合った曲をリサーチして制作をはじめ、実は本格的に活動が始まった時期にはすでにfuture bassのビルドアップからドロップまでが概ねできていました。さすがにこれなら大丈夫だろうということで参加を決めました。
しかし、その状態から最終的に曲を提出するまで、結局3か月かかることになるのです。
私は3月末から4月にかけて、大新歓とサントラ告知動画企画を理由に、制作中だったCCP曲のプロジェクトファイルを完全に放置していました。結果、5月に入ってそろそろやばいよという連絡が来てそろそろやばいと思い作業を再開したものの、曲の制作方針というか展開の進め方を掴んでいたはずのものを完全に忘れており、まったく立ち行かなくなってしまいました。それからの行き詰まり方は、WMLファンファーレの製作時と全く同じです。(連絡は比較的ちゃんと返していましたが)
私から曲が上がらず困ったKさんは、限界状態でCさんに追加曲を依頼したそうです。
WMLファンファーレの借りを返すために参加したCCPで、またしてもWMLファンファーレと全く同じ状況に陥っていて、罪悪感で死にそうでした。
信じられないと思うのですが、結局最後に完成版を提出したのは本番数日前の最後のダンサー練直前でした。クオリティもお粗末で、結局こんな曲になるなら3日で適当に作って提出しても変わらないだろと言われそうなくらいの完成度でした。
白状すると、CCPでは最後までKさんに明確に謝罪もせず言い訳しかしていませんでした。
何度も恩で仇で返してきた自分がいくら謝っても、もう謝罪として機能する気がしませんでした。言葉が意味を持たないのなら仕事で示そうと思っても、その最後のチャンスを自分から潰してしまったばかりでした。
とんでもない裏切りをしておいてヘラヘラしている自分にも嫌気がさして、この先もずっとこうなのかもしれないと思うと耐えられませんでした。もうどうやっても私には、音楽で誰かに感謝されるような仕事はできないのだろうと思いました。
そして、私はMKPを辞めました。
MKP辞めたいです。今まで本当に申し訳ありませんでした。
一つも成果が出ないまま周りに迷惑をかけすぎていて、これ以上音楽で共同制作に携わるのをもうやめたいです。
当時Cさんに送ったLINE(一部抜粋)
今思うと、どう考えても途中で急に退部する方が迷惑な気がしますが……
Cさんと話し合った結果、音楽に関する相談には乗るという条件で退部が許可されました。
7月末には残っていた手持ちの仕事が終わり、本当にDiscordサーバーから抜けてMKPを辞めた人になりました。当時色々と心配をかけたCさんはじめ幹部陣には本当に申し訳なく思っています。
MKP復帰
私がMKPを辞めた頃、退場曲の担当者はまだ明確には決まっていなかったのですが、状況的にはCさんが進めることになりそうだったので、私もその前提で相談を受けていました。
その中で、ダンサー代表のSさんがTVTの退場曲として「波の行方みたいな曲」を要求しているということを耳にしました。これがSさん本人の表現なのかCさんが意訳しただけなのか、私の前だから言っただけの冗談なのかはわかりませんが、当時の私にとって、自分が作るような曲を求めている人がいたということが衝撃的でした。あと普通にめちゃくちゃ嬉しかったです。これが結局、私がMKPに戻るきっかけになりました。
こんな私にもまだ曲を作ることでMKPに貢献できる余地があるのかもしれないという希望が生まれ、一度は「もう音楽で人と関わらない」と決めた心に迷いが生じました。
復帰を考えるうちに、やはりこのまま周りに迷惑ばかりかけてダメな奴だと思われたまま終わりたくない、「波の行方みたいな曲」は自分にしか作れないことを証明したいという思いが湧き起こってきました。
そして何よりも、WMLやCCPでKさんたちが思い描いた理想の公演を、私のせいで実現できなかったかもしれないという強い後悔がありました。
TVTの理想としてSさんが「波の行方みたいな曲」を想定しているなら、それは自分が作らないと実現しないし、じゃあ作って叶えるしかない。そうすることでしかこのコンプレックスは解消できないと思いました。
それでも一度辞めた身で、Cさんも退場曲にやる気を出している中で、これまでさんざん有言不実行を積み重ねて信用を失ってきた自分が名乗り出るのは普通にやばいだろという躊躇もあり、かなり迷いました。そもそもただ作りたいと言うだけではおそらく却下されるだろうと思っていました。
そこで、波の行方のエッセンスを引き継ぎつつアメリカンダイナーのテーマに合わせた曲調のサビ部分を一晩かけて作ってみることにしました。
結果、後にBlue Plate Memoriesになる16小節ほどのスケッチが生まれ、それをCさんに送り、退場曲として制作を進める許可をもらいました。
この時担当を譲っていただいたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。
そうして退場曲制作を任されMKPに復帰してからは、生活のほとんど全ての時間を投じて作曲しました。今度こそ満足できる曲ができなければ死のうと本気で思っていました。
ちなみにもともと3年生の夏は院試のために英語をやろうとしていて、ジョージメンズコーチが『ハイレベルな男の夏休みの過ごし方完全ガイド』という動画で「ジャーナルに"この夏=〇〇"と獲得したいスキルを書け!」と言っているのを見て「この夏=TOEIC800」と書いたばかりでした。夏終わりに受けたら460点でした。
深夜のメッセージ
獲得するはずだった英語力を犠牲に退場曲の制作はそこそこ順調に進み、進捗を投稿し続けていた8月中旬のある日のことでした。
深夜に突然Discordの通知が鳴り、見るとSさんからのフレンド申請が来ていました。DMチャットを確認すると"入力中"と表示されており、私は心拍数爆上がりで息切れを起こしました。以下のような文章が送られてくることが頭によぎりました。
「お前の投稿してる進捗音源イマイチ気に入らないのでやっぱCさんに作ってもらいます」
「散々迷惑かけた挙句戻ってきて平然としてるのはどういうつもりですか?」
「不審者はこのサークルには要りません」
処刑台に立つとああいう気持ちになるんだと思います。どれだけカッコつけて良い曲できなかったら死のうとか思ってても、いざ殺されるとなると生存本能が露わになる。当時の私も必死に、まだ生きたいと願っていました。
実際に送られてきたのはこの文章でした。
あのこんな時間に送るもんではないんですが本当に退場曲ありがとうございます🙏🙏
今Cちゃんのフィナーレのフリ作ってて、流れで退場曲聞いてみたら良すぎて普通に泣けます。本当に今年も神曲をありがとうございます。高橋くんが退場曲作ってくれて本当に嬉しいです😢😭🙏😢🙇♀️😭😢🙏😭🙇♀️
完全に深夜テンションなので無視してください🙏🙏🙏
勝手に載せてごめん
嬉びのあまり涙が出そうになり、気分が上がりすぎて布団の上で踊りました。
WMLでダンサーに取り返しのつかない迷惑をかけたことで、継続ダンサーは全員私のことをスケジュールデストロイヤーとして嫌っていると思っていたので、ダンサー代表が公演曲担当に私が入ることを喜んでいるのが想定外でした。
いくら「波の行方みたいな曲」が欲しかったとはいえ、私がスケジュールデストロイする不安の方がはるかに大きいはずと思っていました。
これは絶対に良い曲を作って期待に応えなければならないと思い、モチベ爆上がりで金フレを投げ捨てパソコンに向かいました。
なんとなくWMLの芸祭最終日朝にKさんから送られてきた文章(WML編参照)を連想して、色々と忘れかけていたものを思い出した気がしました。
こういう体験、自分が必死でより良いものを作って貢献する努力をした結果想像以上に誰かが喜んでくれる瞬間がMKPの中にはいくつもあり、捻くれていた私の価値観を徐々に解きほぐしていったのでした。ありがとう(?)
作詞
歌がある部分の作編曲ができてくると、レコーディング日程のために一旦作詞に取り掛かりました。
歌詞全体のコンセプトを表してもいる楽曲タイトル「Blue Plate Memories」は、実はこの曲を作り始めた頃から決めていました。アメリカンダイナーで定番の日替わり定食として提供されていたメニュー"blue plate special"が元ネタで、当初から"日常"を描いた曲にしようと考えていました。
退場曲の流れる公演の終わり際、オーナーたち一行は、開店記念パーティでのハプニングと解決という非日常を終え、ダイナーでの日常へ帰っていきます。そこにはもう「お父さんから教わった魔法のスパイス」はありません。
そこにあるのは、筋書き(レシピ)の無い日々です。
私にとって、MKPで活動する人々も同じでした。
我々は皆いずれ引退を迎え、それぞれの人生に旅立っていきます。MKPという非日常の中に与えられていた役割を失い、公演本番のような明確な目標地点の存在しない日常の中で自分なりの人生の意味を見つけていかなければならない時が来ます。
私は、キャラクターたちが帰った後の日常を肯定的に描くことで、MKPで活動する皆の将来を勇気付けられるような退場曲を作ろうとしていました。
1サビの「思い出した迷い方で」というフレーズは私のお気に入りです。レシピの無い日常を肯定的に楽しむ心の姿勢のようなものをニュアンスで拾えた気がしました。
ちなみに歌唱担当のNさんには「一回迷い方忘れてんのオモロ」と言われました。だまれよ
通し音源編集
9月に入ると、通し音源の編集作業も頻繁に行なっていました。既存曲同士をスムーズに繋ぐために音を入れたり、キャラの移動などのために時間を稼ぐ必要がある部分に短い編曲を入れたりしました。
4曲目のテーブル・イズ・ウェイティングは元音源のうち使いたい部分を細かく拾って編集で魔改造することでセリフパートを避けながら繋げていきました。波形を限界まで拡大表示して直接見ながら前後の位相を同期したりしていたので、普通に頭のおかしくなる作業でした。
私はこの時期ほとんど授業に出ていなかったので、7号館に出向いて空き部屋で直接指示を受けながら作業していました。映像学科にほとんど友達がいなかったこともあり、もう12号館よりも7号館が居場所になっていました。
そもそも映像に全然興味無かったし原研哉の本とか高校時代から好きだったのに、なんで基礎デ入らなかったんだろうとか考えてました。入試も共テだったので願書変えるだけだったのに。たしか、"デザイン"って入ってる学科は絵描かされそうで嫌だとかそんな理由でした。
まあただ、もし私が基礎デに入ってたとしたら1年生からSさんを筆頭としたMKPの陽キャ女子たちを目の当たりにしてトラウマになって多分入部することはなかったと思います。
キャラソンパズル
退場曲もレコーディングが終わり、CDの入稿期限が近付いてきていた頃、私はキャラソンパズルという難問に立ち向かっていました。
当初Sさんが音源班に書いた退場曲の発注書の中に、キャラソンの1フレーズを引用したいという旨の一文があったのですが、私はここから何を思ったかオーナーを除くキャラソン16曲から1フレーズずつメロディを取ってきてキャラの関係性ごとに合わせてメドレーのように鳴らすというキチガイ構想を立ててしまったのです。
WMLファンファーレでは大編成で調を切り替えながらBPMも変化させていくという難題の前に詰まってしまい結局実現できませんでしたが、今回はどんなに難しいパズルでも解いてやるというリベンジの気持ちでした。
キャラソンのメロディたちを入れようとしていた2番Aメロ〜間奏は、すでにもう一つの演出コンセプトを持っていました。1950年代から現代に至るまでのダイナー音楽の変遷をサウンドデザインで辿るというものです。
結局あまり気にしないことになるんですが、最初はどの年代のパートにどのキャラを置くのがいいかという点も問題となっていました。
なんとなくガムボールマシンとパンケーキのペアは一番古い年代の部分に置いてよさそうと思い色々とモチーフを変形しつつ当てはめてみると、そこそこ綺麗に合いました。それが糸口となって、順番に関係性を持ったキャラクターたちを合わせて当てはめていきました。(例えば間奏後半部では、アイスのメロディが流れている横で三つ子とチョコミントのメロディが切り替わって鳴っています。)
それでもやはり全キャラを綺麗に組み合わせるのはとても難しく、CD入稿期限前日になってもまだ納得のいく形にはなっていませんでした。
ところで、入稿期限というのは実は発注側の裁量で決まっています。芸祭までどのくらい余裕を持ってCDが届いて欲しいかといったところから、いつまでに入稿作業をする必要があるかを逆算しています。プレス業者が提示している締め切りのようなものがあるわけではないのです。
また、入稿担当者以外の作曲者の担当曲は期日を決めて事前にデータを集めておく必要がありますが、入稿担当者本人に限っては入稿するその現場にさえデータがあれば間に合います。
そして、TVTサントラの入稿担当者は私でした。
ここまで読めば何が言いたいのかわかってきたでしょう。
私は、Cさんに指定された日に入稿したフリをして数日後まで退場曲の作業を続け、それからコッソリ入稿しました。
結局普通に余裕を持ってCDは届いたのでバレませんでしたが、この場を借りて懺悔しておきたいと思います。みんなも危ない橋を渡るのはやめよう!
紹介動画制作
CDの入稿後、音源班は急に暇になります。
暇すぎて仕事に飢えていた私は、広報班でキャラクター紹介動画の制作者が足りていないことを知り、コーラの担当を引き受けました。締め切りは作業開始から約10日後でした。
AEをいじり始め、そういえば自分は映像学科だったことまでは思い出せましたが、肝心の映像の作り方は全然覚えていませんでした。
そういえば自分はCGの専攻っぽい感じだったことも思い出し、Blenderを二億年ぶりに開いてひとまずコーラ瓶をモデリングすることにしました。
せっかくなので実物の瓶を見て観察しようと思い、瓶コーラを出してくれることで有名な東京油組総本店立川若葉町組に毎日のように通いました。ダブル盛を平らげた後のコーラは格別に美味しかったです。病みつきになりました。
結局、瓶はYouTubeのチュートリアル見て作りました。
最終的に出揃った紹介動画にはいくつか明らかキチガイクオリティのものがあり、担当者を確認すると映像の後輩や他学科の学生だったため、無事死亡といった感じでした。映像学科なのに必修にまともに取り組まずに曲作ってばかりいるとこうなります。
ギャラリー開発
紹介動画制作が終わっても、まだ芸祭までは時間がありました。ついに本当に暇を持て余した私は、本職のエンジニア業で使っていたLLMアプリ開発用のライブラリとツールを使って画像URLから映っているキャラクターを判定するbotを作って遊び始めました。
~(ここで一度、判定器の詳しい実装について書き始めたのですが、オタクの長文すぎたので消しました)
~熱中して2日ほど遊び倒した結果、WMLの公演写真からかなりの高精度でキャラクター判定ができ、コンテキスト消費と応答時間も最小限に抑えたモデルができました。
ただの遊びのつもりでそこそこ優秀な判定器ができてしまい、そこから必死に応用先のプロダクトを考えました。結果できたのがギャラリーサイトです。
ホームページの方はついでだったのでほとんどバイブコーディングしていて、特に品質などもこだわっていませんでした。後に音源の後輩にデザインをいじられて、ちゃんと作ればよかったと後悔しました。
晴れリハ
芸祭準備期間、中央広場で行われた晴れリハで、私は流していた音楽を唐突に1分ほど止めるという大やらかしをかましました。さすがに1分よりは短かったかもしれません。しかし、音が止まって頭が真っ白になった私にとってはもっと長く感じられました。
原因はスピーカーに接続していたbluetoothが切れたことでした。
ダンサーたちが即興でフリーを始めて、コスチュームの擦れる乾いた音がスピーカーの無音の上でよく聴こえました。慌てて再接続を試みようとしてbluetoothマウスでパソコンのbluetoothオフのボタンを押し、マウス操作を利かなくしてさらに焦っていました。バカすぎる
私はこの出来事がトラウマになり、その後しばらくbluetoothデバイスを全く信用できなくなりました。
夜、Sさんに久しぶりの長文謝罪DMを送りました。
そして本番絶対に同じことが起こらないようにと、ケーブルを買い足して有線接続の準備を整えたのでした。
後編へ続く